ネットビジネスに誘われた話

大学を卒業した直後、前のバイト先の店長からネットビジネスの話を持ちかけられた。

簡単に言えばねずみ講だが、普通にその手の会社の中では大きなところで、やり方も法に触れたりはしない。

知ってる人も多いと思うが、紹介されたやり方では、まずいくらか払って会員になり、オーガニックとか体に良い商品を月に1万ほど買う。紹介者は契約させた人数が増えるほど、手数料を貰え、さらに紹介した人がまた紹介していくとさらにお金がもらえる、という仕組み。

商品を予め大量に購入しておかねばならないことはないし、毎月買わなければならないわけでもない。お金を得る方法として、まあそれも1つの手だろうと思った。友人がそれをやっていようと私は別になんとも思わない。

 

でも、私自身はやりたくないと思った。まず、友達をお金の関係にしたくないと思ったし、あんまりオーガニックなどに興味がなかった(笑)

 

それと大きくひっかかったのが、紹介されてる時に見せられた、ネットビジネスでお金を得た人たちの写真である。

ものすごく普通の人達が、テカテカの時計とか、身の丈に合わない車を横に写っていた。そこら辺にいそうな普通のおっさんたち。なんにも羨ましくなかった。

高級品を持つ人って、そういう育ち方をした人とか、仕事とかめちゃくちゃ頑張って手に入れたとか、そういう気品みたいなのがあると思う。高級品を持っていても恥ずかしくない、自信とか感じるものだと思う。

でも、そういうのを全く感じなかった。手にした財を見せびらかす精神にはむしろ汚いとすら感じられた。楽してお金を手に入れるってどうなんだろう?と考えた。

 

もちろん、お金はいくらでも欲しい。でも、どんな風に持ちたいか、どういう将来を築きたいかとか、なんだかネットビジネスで色々考えさせられた。きっとこんな風にお金を手にしても幸せには思わないだろうな、と思って私はお断りした。

 

こんな話を友人にしたところ、ちょうどその友人はそのネットビジネスを始めたばかりで私に紹介しようとしてたらしい。それで、私の話を聞いてやめてしまったとか。

 

そんなことより私は宝くじを当てるからって言ってただけなんだけどな。

 

そんなお金の話でした💰

才能の話

人にはそれぞれ才能がある。

自分にはないと思っていても必ず才能はある。

 

私には弟が1人いるのだが、大学に行ってまで勉強したくないと言うほどの勉強嫌いである。

しかし、勉強だけ淡々と続けてきた私と違って弟はおばあちゃんから教えてもらった昔の歌や、地名など私よりよっぽど覚えていた。それに、私にはない発想力があり、夏休みの貯金箱を作る宿題でペンギンの頭からお金を入れると羽がパタと動く簡単な仕組みを作っていた。絶対に私にはできない発想だ。口ではあんまり言わないけど私にはないものを持っていてずっとすごいと思っていた。

それに、私は地元の友達とあんまり馴染めず地元に残りたいと1ミリも思わなかったタイプだが、弟は小学校の頃からの友達と今もずっと仲良くしてるし私よりずっと人間関係を築くのがうまいと思う。

目に見えない形だって、どれも才能だ。

才能がないやつなんていない。

まあだからなんだ、みんな自信持って生きてくれ。

動物と人間

前考え事をしていた時、こんなに発達した現代でどうして人間はまだ動物のような行動を続けているのだろうと思ったことがあった。

ふと思うことはないだろうか。なんで飯を食べなければいけないのか。なんで排便しなければならないのか。しなくてもいいならやめてしまいたい。

情報を管理して時間通りに動く。同じスーツを着て機械の一部のように歩いている人たちが、一方で飯を食い、表情豊かに笑い、情事に興じているのかと思うとなんだか可笑しくてしょうがない。そんなことしなくたって生きていけるのに。

考えれば考えるほどめんどくさくて仕方ない。もっと簡単にできないものかと思う。排便とか汚いし、睡眠も食事も時間を無駄に使う。なんでセックスしなきゃ子どもは生まれないんだろう。性欲という感情も動物的だし、お腹で育てなくても産まれる装置みたいなのはできないのか。賢そうな顔をしておいて、結局人間も動物となんら変わりはない。遥か昔から続いてきた動物と同じ習慣を人間はいつまで続けて行くのだろう、などと考える。

そんなことを言いつつ、自分にも食欲も性欲もあったりする。なんだか滑稽だ。完璧で単純な人間になるにはまだ程遠い。

消え方

5月中頃だっただろうか、隣の部署の人が一人辞めた。

私は入りたてで自分の支店の中さえ把握できてない、そんな中「今までありがとうございました」と挨拶して消えていった人を私は顔も名前も覚えてない。

後日、社内伝言板で顔写真もなく、一人退社したと綴られていた。ほかの人は分からないが、私の記憶の中からは綺麗に消えて無くなるように次の日には忘れていた。

話は変わるが、みんなはどんな死を迎えたいだろうか。死に方ではなく、死んだ後の周りの反応である。

私は上に話したように記憶からするりと抜けるように忘れられたい。誰も悲しまず、次の日にはそんなやつもいたなみたいな感じで記憶からも消えて無くなりたい。誰からも私が居なくなるごときで悲しまれたくない。

 

昔読んだマンガで、自分の思い通りにできる能力を持ちながら子供の頃から孤独で、敵であるはずの主人公と仲良くなり、誰の記憶にもそこにいた存在すら無かったことにして消えた奴がいた。でも、その男の子は完全に存在を消すことができず、主人公には「何か分からないが大事なものがあった」という感覚だけが残った。みんな何があったか思い出せないし、諦めようとする。それでも諦められない主人公はなんとかしてその男の子のことを思い出す。

なんて美しいのかと思った。だれか一人こうして存在を覚えていたいと思う人がいること、自分の存在が嫌いで仕方なくても、こんなに想える人と出会えたら嬉しいだろう。主人公も男で恋愛ものではないが、だからこそ感動したのかもしれない。男の子の名前は宵風(よいて)だったかと思う。調べたら出てくるかもしれない。

こんな風に多くの人の記憶からすっと消えて無くなりたい。突然いなくなっても、あまり人の中にに悲しい記憶で居続けぬよう。

趣味どうしようの話

今は、通勤電車の中。最近やっと仕事にも慣れてきたような気がする。

毎日一日仕事をして家に帰ってくると、割と暇である。寝るまでの4時間、ぼーっとしてるのもあれなので、何か趣味が欲しいと思った。

私は昔よく本を読んでいたので、昨日は本を少し読んでみた。おばちゃんが本をくれるのだが、源氏物語とか読みづらい本が多い。くれた本の中で本棚に残っていた三島由紀夫の本を開いた。が、主人公の名前が難しくて読みにくくて1ページで閉じてしまった。もっと分かりやすい名前にして欲しい。哲彦とか…哲彦?初キスの相手の名前を思い出してしまった。ひょろひょろの46の無職のおっさん。勘弁して欲しい。

そんなことはどうでもいいが。

趣味の話だが、しばらくは本でも読もうかなあと思う。それから来月にはブルーレイかAmazon stick?を買って映画でも見よう。うん。あと海行きたいから痩せます。終わり。

本をよく読んでいた頃の話

小・中学生の頃、かなり本を読んでいた。

全てノンフィクションで図書館で借りて読みまくってた。そのせいで感情移入が異常にしやすく、見るもの全てに勝手なストーリーを付け、涙ぐんでいた。意味がわからないと思う。

例えば、電車から見える景色で家々に灯りがついていたり、歩いている人を見かけては、この人達と一生関わることもないのかと思っては泣き、小学校の新入生紹介を見てはこの子達はまだ何も知らず楽しく生きているけど、これからどんな辛い経験をして大人になって行くのだろうと想像して泣いた。

異常な豆腐メンタルである。

本は感情を豊かにする。でも、入り込みやすい人があまり読みすぎると日常生活が危うくなるほど感情が邪魔をする。

特に私はハッピーエンドの本を読むと自分を責める癖があった。本を読んでは自分はどうしてこうでないのか、どうしてこのように主人公は上手くいくのか、埒のあかない疑問を考え続けたりした。作者が考えただけなのに。

海外の作家の翻訳本はわかりにくくキチガイ系も多かった。兄はキチガイだけど好き!みたいな。

また、理解しかねる感情に触れると、霧の中の細い糸を辿るように、ああなのかこうなのかと考え、ふと顔を上げると自分が今何を考えていたのか、一切思い出せないようなこともあった。今もたまにある。

読めない漢字がいっぱいあるが、おばあちゃんに聞きながら分厚い本を読んでいた時は、一切内容は理解してないがとりあえず読み切った達成感があった。があまり本の意味はない。

高校になってからはあまり読まなくなったが、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでみたり、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』などに手をつけた。しかし、あまりにも翻訳が雑で原文でないと分からんなと思って諦めたものだ。

それとは別に、太宰治の『人間失格』はとても衝撃を受けた。あまり詳しく言わないが、あんなに共感したのは初めてで、ただただ驚いた。

 

豆腐メンタルにはなったが、あの時いろんな本を読んだのは今いい経験になっていると思う。

深い内省が培われるし、その時思った感情はその時でしか手にすることができない。

暇じゃなかったら読んでなかったと思うが、一度本を読みまくるのもいい出会いになったりする。

なんか思ったから書いた

たった1ヶ月働いたくらいで社会人が分かったようなことを言うのもあれだが、やっぱり体と精神を徐々に蝕んで行くものなんだろう。

 

今日、社会人の大学の同期と飲みに行った。話しててお互い思っていたのは、特にストレスなく定時に帰り、毎日を過ごしているのに休日になるとなんだかどっと疲れている。気分が塞いでいること。

 

学生には無かった感覚だ。当たり前だけど、毎日同じ時間に出勤してそこそこの責任を持って家に帰った時には暇だけど、気持ちもそんなに休まらない。

何かストレス発散になることがないとたぶん1年後には潰れちゃうんじゃないかと。

自分の精神のバランスをうまいこと取って行くのが社会人には一番必要かもしれない。

 

何か適当な趣味を学生のうちに色々手を出しておけるなら、しておいたほうがいい。