本をよく読んでいた頃の話

小・中学生の頃、かなり本を読んでいた。

全てノンフィクションで図書館で借りて読みまくってた。そのせいで感情移入が異常にしやすく、見るもの全てに勝手なストーリーを付け、涙ぐんでいた。意味がわからないと思う。

例えば、電車から見える景色で家々に灯りがついていたり、歩いている人を見かけては、この人達と一生関わることもないのかと思っては泣き、小学校の新入生紹介を見てはこの子達はまだ何も知らず楽しく生きているけど、これからどんな辛い経験をして大人になって行くのだろうと想像して泣いた。

異常な豆腐メンタルである。

本は感情を豊かにする。でも、入り込みやすい人があまり読みすぎると日常生活が危うくなるほど感情が邪魔をする。

特に私はハッピーエンドの本を読むと自分を責める癖があった。本を読んでは自分はどうしてこうでないのか、どうしてこのように主人公は上手くいくのか、埒のあかない疑問を考え続けたりした。作者が考えただけなのに。

海外の作家の翻訳本はわかりにくくキチガイ系も多かった。兄はキチガイだけど好き!みたいな。

また、理解しかねる感情に触れると、霧の中の細い糸を辿るように、ああなのかこうなのかと考え、ふと顔を上げると自分が今何を考えていたのか、一切思い出せないようなこともあった。今もたまにある。

読めない漢字がいっぱいあるが、おばあちゃんに聞きながら分厚い本を読んでいた時は、一切内容は理解してないがとりあえず読み切った達成感があった。があまり本の意味はない。

高校になってからはあまり読まなくなったが、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでみたり、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』などに手をつけた。しかし、あまりにも翻訳が雑で原文でないと分からんなと思って諦めたものだ。

それとは別に、太宰治の『人間失格』はとても衝撃を受けた。あまり詳しく言わないが、あんなに共感したのは初めてで、ただただ驚いた。

 

豆腐メンタルにはなったが、あの時いろんな本を読んだのは今いい経験になっていると思う。

深い内省が培われるし、その時思った感情はその時でしか手にすることができない。

暇じゃなかったら読んでなかったと思うが、一度本を読みまくるのもいい出会いになったりする。